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2011年3月に作成された記事

2011年3月14日 (月)

チェーンメールらしきもの

仙台に残っていた、航空大学のメンバーの帰省のめどがたちました。

全員、山形に移動したそうで、一安心です。

一昨日、とるものもとりあえず、布団や毛布、大量の冬用のジャケットなどを積んで、車で仙台に向かっていた時、情報がほしくて、神戸に残っていた家族や、関東在住の親族に、主に道路状況、通行止め情報などを、メールで伝えてもらってました。

そしたら、来るわ来るわ、同じ内容のメールが、どっさり。
すべて、「関電の社員」「節電」「できるだけ多くの人に...」
の文字が!!

おかげで、道路情報が書いてあるはずの大事なメールが「関電メール」に埋もれてしまい、大事なメールを開くために、余計な手間がかかってしまいました。

「できるだけ多くの人に...」の文言が、チェーンメールのキーワードです。

内容が悪意が入ってないだけに、善意だけで、送信してくださったに違いありません。
善意のメールのはずが、状況が状況だっただけに、私にとっては、めちゃくちゃ困り物のメールになっちゃってました。

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東北の大地震(2)

みなさま、ご心配をおかけしましたが、先ほど(13日午前2時)三男たち数名と無事、帰宅しました。

三男から、毛布がほしい、もって来てほしいと電話があったのが、12日土曜日の午後6時。

テレビやインターネットの情報では、道路は寸断されていて、おまけに、緊急車両以外通行禁止区域があちこちにあるという話ばかりでした。

ごく薄着で命からがら逃げてきた学生たちが寒さに震えていると聞き、とにかく、行ける所まで行ってみよう!と決断。

電話から3時間半後の、午後9時半に家にある、ありったけの毛布や薄手の布団、ジャンバーや厚手の上着すべてを車に積み自宅を出発しました。(なので、今うちには、男性もののジャケット類がありません)


犬を連れていくわけにもいかず、相談の結果、イブ父が残り、私が行くことに。
一人ではとても無理なので、長男に電話したら同道を快諾!
会社にもすぐ連絡して、月曜日は年休をとってくれました。

長男宅を午後10時に出発し、仙台に向かいました。


現地で渋滞や道路の寸断で進めず、ガス欠になったら命にかかわるとの判断で、途中のガソリンスタンドで、ドラム缶入りガソリンを20ℓ購入しました。

ひたすら日本海側をすすみました。
新潟から太平洋側に抜けるには、磐越自動車道を通るルートが最短なんですが、通行止め。福島原発の件もあり、このルートは断念しました。

山形まで進み、そこから太平洋側にすすむべく、山越えをしました。

「どこまでいけるかわからないけど、行ける所まで行こう!
 だめなら引き返してもいいよね!」

と、ゴルゴ兄と話し合い、二人で2時間ずつ運転しました。
どこまで行けるんだろう、と、どんどん進んでいくうち、通行止めの情報があった4号線に入ってしまい、

「あら?規制してないね~」
「行ける所までいこうよ」

と進むうち、避難している体育館に、翌朝の9時20分に、あっけなく到着してしまいました。

無謀と思えましたが、行ってみるもんですね。




行ってみてわかったんですが、教官たちはおらず、学生28人だけで行動してました。しっかり統制がとれていて、ちょっとびっくり。
(教官、職員のかたは別行動で無事だそうです)

私たちが到着したら、学生たちが
「レンタカーをかりて脱出したいので、レンタカー屋さんに連れて行って下さい。」と言ってきました。

ワゴン車4台で全員脱出できるとのことで、レンタカーを探すも、どこも貸してくれません。

やっと山形空港そばで1台だけワゴン車を借り、他を探していたところ、航空大学の教官から連絡が入り、その1台は使うけど、自分たちが現地入りして、なんとかするので、あとのレンタカーは手配しなくていいとのこと。

私たちの車に乗っていた航空大学生は、そのまま私たちと一緒に帰れ、と言われたようです。

そこで、ゴルゴ弟と、その同級生(運転手として残ろうとしていた)3人をつれ、神戸に戻ってきました。



気がかりなのは、借りた1台を運転して、仙台にむかった2人の航空大学生です。まだ、仙台についたという連絡が来ていません。

現地の通信手段は公衆電話のみで、それもバッテリーが切れると通じなくなります。携帯も全く役にたちません。ドコモのみ、ときどき奇跡的につながりますが、あてにはなりません。

もちろん神様が守って下さると信じていますが、どうか、彼らが無事に仙台につけますよう、航空大学生が全員無事に帰宅できますよう、お祈り下さい。



なお、避難先にいろいろな方がばらばら連絡をされると、肝心な連絡がつきにくくなります。無事がわかっている場合は、個別に電話をされないようにお願いしたい、とのことでした。



ーーー追記ーーー
連絡がつかなかった航空大学生2人ですが、今朝、うちに滞在中の航空大学生に、本人から連絡が入りました。無事、避難所に到着し、待機しているそうです。


うちに滞在中の学生たちは、自分たちだけが先に助かったことに、大きな負い目と責任、申し訳なさを感じていることが、ひしひしとわかります。
どうか、彼らが自分を責めることが無いよう、お祈り下さい。

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2011年3月12日 (土)

ゴルゴの弟が...

今回の東北の地震で、仙台空港のすぐそばにある航空大学仙台校に在籍している、ゴルゴの弟が被災しています。

宮崎にある航空大学本校から、電話で、学生全員の無事が確認されていると連絡が入ったのが、昨日の地震直後です。

その後、学校からの連絡もなく、ゴルゴ弟の携帯にも電話がつながりません。きっと、神様が守ってくださっていると信じています。

神様のそばにいるゴルゴも、必死で守ってくれていることでしょう。

あとは、彼の無事を信じ、無事との連絡がくるのを待つのみです。
どうか、このブログに、無事だったと書くことができますよう。

ここをご覧になってくださっている方がおられましたら、一緒に無事をお祈り下さるとうれしいです。よろしくお願いします。



-----追記ーーー
3月12日正午頃、航空大学の宮崎本校に問い合わせたところ、ゴルゴ弟は、
航空大学そばのビルに避難していることが確認できました。

航空大学生は、全員無事とのことでした。
本当に感謝です。

とりいそぎ、お知らせします。

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